
このページは一介の街好きが日常で出会うあれこれを掲載しています。日記とか更新履歴とか言うかもです。
(みなさまお久しぶりです。)
■先日、FIFAワールドカップ韓国日本大会・一次リーグ日本対ロシア戦(であってるかな?)が横浜国際総合競技場で行われた。試合は90分の熱戦の末、さまざまな予想を覆しての「1-0」で日本代表の勝利。決勝リーグ行きがほぼ確実となったこともあって、日本中のさまざまなレベルのサッカー好きたちは大喜び。のちのチュニジア戦での勝利、それから決勝リーグでのベスト16敗退もまた、みなさまも知るところではあるでしょう。いろいろ詳しい人から見たら言いたいこともあるのかもしれないけれど、選手や関係者の方々の努力とその確かな成果を見せていただけたことに、ひとまずは感謝。
■ところで、このロシア戦が他でもない“横浜国際総合競技場”で開かれた事実にちょっと目を引かれた。決勝戦と閉会式がこのスタジアムで行われるというのはもちろんだけど、そもそも最近興味を持っていた新横浜という街に、この競技場があることが個人的に面白かった。ちょっと紹介してみる。
■新横浜はJR横浜線とJR東海道新幹線(と横浜市営地下鉄)の交点であり、場所としては横浜の南西寄り、神奈川県横浜市港北区に位置する。幕末期から明治初期にかけて隆盛を誇った多摩西部=横浜をつなぐ“絹の道”(現国道16線にほぼ平行する)のルート上にあるが、基本的には鶴見川の氾濫原が作りだした扇状地農業地帯だった。北には神奈川県央部の穀倉地帯があり、北西に港北ニュータウン。この不況時代に次々と鉄道が延伸され、人口が急激に増えている一帯の、中心地でもある。
■ここが昭和史にささやかながら名前を表すのは、東京オリンピックの時代である。復興の終局点であり、さまざまな事物の一つの区切りとなったその時代。日本という国そのものの一つの成果として、正真正銘の超特急・東海道新幹線が敷設されることになった。しかし、タイムリミットが存在する土木事業がそうそうすんなりと進むものでもなく、あちこちで様々な利害をめぐる紛争・それにまつわる予算超過が起きた。用地買収の難航の結果、東海道新幹線のルートは“のちに時速300kmの壁を越える段に明確な障害となるほど”ぐねぐね曲がりくねり、さらに明らかに不便な位置にある“新”が頭についた新幹線新駅が現われることになった。余談ながら、この新幹線を走らせ続けるために、大きな健康被害を生み使用が禁止されたPCB(ポリ塩化ビフェニール・難分解性の猛毒)が、初期型新幹線の制御装置冷却剤にだけは例外として使用が認められていたという事実もある。
■新幹線新駅の風景は全国的に似通っていて、たいてい少し地勢が安定した人気の乏しい場所にある。あるいは、そうだったのだろうと想像させる場所、と言ったほうが正しいかも知れない。綺麗に区画され高層ビルが建ち並ぶ新横浜は、ぱっと見には人気がなかった時代の面影に乏しい。しかしよく見ると、ただでさえ荒れ川で有名な鶴見川が支流と交差するいかにもな場所であり、旧家のお宅もみな高台にしかない。40年くらい前の、鶴見川の氾濫原を灌漑したのどかなたんぼ風景が、地図上にはまだしっかりと息づいている。
■新横浜を横切り、横浜国際総合競技場の目の前を通る鶴見川もまた、関東地方の昭和史に名前が残りそうな川だ。コンクリート護岸された細っこい小川は、国土交通省が管轄する一級河川である。一級河川というのはようするに、国が管理をしなきゃいけないほど重要であり、かつ金がかかってしょうがない、ということを意味する。ささやかな流れしかないはずの鶴見川が、実に大雨のたびに危機的状況・あるいは氾濫をくり返し、しかもその川は、横浜という日本第二の都市をほぼ流域としている。もちろん氾濫のおもな原因は、都市化によって河川の流量が不安定になっていることである。ちなみに鶴見川の洪水は過去の脅威などではなく、よく見るとやたら贅沢な対洪水設備が目についたりもする。あんまり追いついてはいないらしいのだけど。
■横浜国際総合競技場は、その鶴見川をめぐる豪華な施設の一つである人工池の上に建っている。もともとこの場所には1981年の計画で、都市の排水量を緩和し河川の流量を安定させることを目的とした人工調整池が、当時の建設省によって作られる予定だった。その場所と国体誘致を見込んで、1989年、調整池上に総合競技場を建設する計画が横浜市議会を通過する。さらに1991年、2002FIFAワールドカップ日本招致委員会が設立。1992年に横浜市は名乗りをあげ、翌年、開催候補地に決定。その後、1996年にワールドカップが日本と韓国の共催で行われることになり、1997年、横浜国際総合競技場はついに竣工した。
■1998年にはJリーグも開幕し、横浜マリノス対横浜フリューゲルスという今だといろんな感興を催させる“開幕戦”が行われ、同年、所定の目標であった“かながわ夢国体”も開催。最大収容人数7万人、円形をした端正な競技場は、こんなふうにして順調に出発した。けれども、その主だった歴史は“バブル崩壊後”の数年と重なってもいる。
■2002年の今年。ワールドカップは開催され、他でもないこの横浜国際総合競技場で、日本対ロシアを始めとした各試合が行われ、ドイツとブラジルによる決勝戦が行われる。
■ささやかに象徴的な事物を、“日本代表”という名前を冠せられた人々が活躍した舞台でもあるこの場所に、いささか牽強付会気味に繋げて考えたくなった。日本人の中で特にサッカーがうまい人が二十数人集まったのが“日本代表”なんていう大げさな名前を与えられ、賞賛や応援とともに、国の名前や歴史をこめた個々人には本来そぐわないほどの期待とプレッシャーをあびせられ、そのなかで確かな成果を出していく、あるいはどうしようもなく損なわれていく、ということ。もちろんたぶんこれは“日本”とかに関わらず。
■さまざまな人々の熱意と利害が絡みあう中で、さまざまな地縁が交わりできたこの横浜国際総合競技場も“代表”と呼べるんじゃないか。そんなことを考えた。たぶん、今回選ばれた、あるいはこれから選ばれる様々なスタジアムにしても同じように。
■横浜国際総合競技場。横浜市港北区小机町3300。日本スペースイメージングのワールドカップ・サッカー全10会場(日本)の画像を公開にすごくきれいな写真があります。